たたみのま

たたみマリィの雑記

2025/07/05

あれやこれやと騒がれていましたが、無事今日を迎えてよかったですね。いや、ほんとは毎日がそうなのである。

私は94年生まれで、99年のノストラダムスの予言や12年のマヤ文明の暦の終わりを何事もなく通過して、「散々騒がれたけど何も起こらなかった」というのを経験しています。

ですので、この予言については最初から「いやいや今令和だよ?最新の科学を駆使しても災害の予測は限界があるのに、予言なんて原始的すぎない?」という気持ちで眺めていました。

しかし、その一方で、阪神淡路や東北での大震災、アメリカ同時多発テロ、さまざまな無差別殺傷事件(と書いてみて、そんなことが複数あるのが嫌すぎると思った)など、「予言なんてなかったけど未曾有の災害/犯罪が起こった」も通過してます。ゆえに、「生きているのは運がいいだけ、一寸先は闇、誰もが突然命を落とす」という信念で生きてます。

そうした時代を生きて今に至るので、人生については「何かあるかもしれないし、ないかもしれないけど、いずれにせよ何もわからないから今できることをしておく」という姿勢です。

高望みせず、しかし自棄にならず…。林の中の象、「うさぎとかめ」のかめの方。

気になる旅先

去年は10月に台湾に行ったのだけど、今年の夏から秋はどこに行こうかな?と考えまして、海外行きたいけど遠いし円安もな〜と悩んでいたら、いいところを思い出しました。「ブリティッシュ・ヒルズ」です。

何年か前にInstagramで知ったんですが福島県にある「パスポートのいらない英国」がキャッチフレーズの、本格英国スタイルのホテル兼、語学学校。せっかくなので、カタコトしか喋れない英語の上達のために、語学付きのプランにしようかと考えています。

永久に不滅のミスター

今日亡くなった、長嶋茂雄終身名誉監督の追悼番組を家族 (ちょうど子供の頃に現役の長嶋さんを見てた世代)が見ていたので一緒に見ていたのですが、

「お小遣いを貯めて遠方から初めてプロ野球を見に来た子供達もいれば、お体が悪くてこれが最後の観戦になる人もいる(だから、そういう人たちのために常に全力でプレイして、いい試合にしなければいけない)」

という趣旨の言葉が紹介されていて、そんなプロ精神と真剣さに溢れた立派な人だったのか…と、とても失礼な感想を持ってしまうなどしてしまいました(鯖という字はさかな偏にブルーとか、I live in Edoとか、そういうトンチキな話ばかり知ってて野球はすごいけどわけわからん人だと思ってましたスミマセン…)

ちなみに、「永遠に」不滅じゃなくて、「永久に」不滅なんですよね。

始まりはJK、終わりはおじさん

コンテンツというものは女子高校生という流行に最も敏感な層にウケればそれをきっかけに流行り、それがおじさんという流行に最も関心が薄い層まで届くと廃れるという、そんな言説をネットで目にしたことがあります。

新聞の見出しで、各政党がSNSに注力というのを見てそのことを思い出して、「ああSNSはもうすぐ廃れそう」と、なんとなく感じた今日この頃。

SNSが流行ってもブログは残ってるし、チャットアプリが主流になってもメールは残っているので、SNSがなくなりはしないと思いますが、はたして…。

友達付き合い、それから心の余裕

31歳の私ですが、長く続いている友達がいません。

疎遠になった理由は、中学受験して違う学校に行ったり、引っ越したり、許せないくらいに価値観が合わなくなったり、物理的に顔を合わせなくなったら共通の話題も少なく、関心が薄くなってしまったり。

理由は様々ありますが、いっとき仲がよくても、時間が経ち距離が離れると、経験したことの違いが出てきて、そうすると経験から生じた価値観もズレていきます。

そうしてそのうち、「もうこの人(たち)に私ができることはない、この人(たち)は私がいなくても大丈夫」と判断して、私から自ら離れてしまう傾向があります。

そのこと自体は別に「まあいっか」と思ってます。青虫の頃には葉っぱを食べていても、蝶になったら花の蜜を吸うのと同じように、自分が変化したんだなと思うだけです。

私は自分をどんどんアップデートしていきたい人間ですし、 私にとっては変化することよりも、昔の自分から変わらないでいることの方が、望ましくないこと、避けたいと思うことです。

※脱線ですが、中年になっても仲がいい幼なじみがいるとか、中高生の時交際していた人と結婚したとか、そういう話を聞くと「そんなにお互いずっと変わらないでいられるの?」と驚きます。

逆に、そういう人から見たら私は、気まぐれで相手を大切にしない、自分大好きで身勝手な人に見えるかもしれない…。

 

さて、ここからが本題。

最近、新しく友達を作りたい気持ちはあるがどうせいつか縁が遠くなのでは…という気持ちがあり、おっくうです。
最初から友達にならないのと、仲よくなってから疎遠になるのとで得られる経験が違うので、無意味ということはないのはわかる。しかし、とにかく他人に向けるエネルギーがない。自分の世話で精一杯。心の余裕ってどこから出てくるんですか?

「こども普通」という概念

さくらももこがエッセイで、「私はこども好きでもこども嫌いでもなく、こども普通」というようなことを書いていたのですが、私もわりと「こども普通」です、相手の年齢に関係なく、他人は他人なので。

ちなみに他人のこと好きか?というと、1人でも十分楽しい内向型人間だからそこまでではありません、あとは相手や時と場合によるなあ〜っていう。